当事者体験記

闘病記 中薗千恵51歳 主婦  横浜市在住

「私の生き辛さと、どう向き合って生きて行くのか」私は、統合失調感情障害をわずらっています。自分、他者への怒り、苦しみ、対人関係の不調和、悲しみ、など、自分でコントロール出来ない感情が大波の様に襲って来て、操縦不可能な飛行機状態におちいる事が多々あります。なぜ?この様な感情が襲って来るのか全く分からず、ただただその大波にのみ込まれ苦しい日々を送っていました。そんな日々を何年も過ごしていたある時の事、生活支援センターの施設長さんから「感情コントロールスキルアップ講座」(弁証法的行動療法)と言うものに出てみないかと声かけがありました。

その時の私の反応は自分の感情をスキルによって、自分でコントロールするなんて!!出来る訳ないじゃん!!不信感でいっぱいでしたがとりあえず、講座に出る事にしました。どこかで自分に押し寄せてくる圧倒される辛い感情をどうにかしたいと言うわらをもつかむ気持ちがあったのでしょう。そして、色々な感情をスキルを使って対処する事を約1年半学びました。それから5年程の月日がたち、私がどう変化したか、あげてみようと思います。

まず、自分がどの様な場面でどんな感情がわいて来るのか、気付きと客観視出来る、例えていうならもう一人の一歩引いた。自分自身のコーチの様な存在がいる事を知る事が出来たのです。感情をコップの水で例えるなら今、この感情何分目くらい?と自分に問いかけ、私の場合8分目くらい位の時、それぞれのスキルを使っています。以前だったらコップの水が溢れだし、自分が手におえなかった状態でしたが、その手前でスキルを使う事によって、自分から支援者にSOSを出す事が冷静に出来るようになり、自分でも、あー今こんな感情が出てるんだなぁとマインドフルに受け入れ、対処出来る様になりつつあります。

ここまで、スキル語りになってしまいましたが具体的に、どの様な場面でどのスキルを使っているのか、そして失敗例もあげてみます。対人関係に不調和が生まれた時、まずは相手を尊重し自分も大切にすると言うスキル(アサーティブな関係)をと言うものです。例えば相手の言動に怒りを感じた時、あーあの人にこんな怒りを感じているんだなぁとまずマインドフルに受け止め、相手の立ち場になって考えてみます。私がこの激しい怒りをぶつけたら、さぞかし、不愉快で相手も怒りをぶつけて来るだろう!!そこでどう対処するか、私だったらどうする?と。

まず、私の場合家で外からの情報源を断つ為に、ブランケットを頭からかぶり、心から大声と涙で思った事を吐き出します。すると、怒りのMAXからかなり落ち着きを取り戻す事が出来るのでそこでとどめておくようにします。しかし、私の場合、激しい怒りが前に出すぎて、自分の主張が中心になって、間も取らず、いきなり相手に怒りをぶつけてしまい、その時はスッキリするけれど、冷静になった時、自己嫌悪におちいり、相手も自分も取り戻しの付かない状態になってしまうのです。アサーティブな関係を保つスキルは私の一番失敗しやすい事です。対人関係は一生付き合っていくものなので、これからも練習していくつもりです。

ある精神科医との出会いから  平原 美栄  横浜市在住

平成元年に東京から瀬谷区に引っ越してきまして、平成2年に娘を出産して不眠になり、同病院の精神科に回されて初診し、通院していました。その後、クリニックを2回替えて、あるクリニックでデポ注射を打たれて副作用で歩き回るようになり、そのクリニックからの紹介状で、平成9年に今通っている精神病院に入院することになりました。その後は入退院を何回か繰り返し、3年間の入院の後に離婚訴訟を起こされて離婚になり、入院中の離婚により娘の親権を奪われ、帰る家をなくしました。

ですが、離婚によりお金を手にした私は、入院形態も退院の際に家族の同意がなくてもいい医療保護入院から任意入院になったので、独りきりで奇跡的にアパートを探して退院しました。そうでなかったら、今頃は社会的入院者としてまだ入院をしていたかもしれないです。なぜなら、家族のうち両親はすでに病気で、姉が保護者になっており、相続の関係で私にはむしろ入院していて欲しかったからです。後の近年、両親が亡くなり相続ですべてがわかりました。

退院後、多剤大量処方に苦しみながら、最後の入院になった平成25年の入院までの間、入退院16回を数え、通算入院日数は1752日にも及びます。後に離婚理由を私側の弁護士に問い合わせた時に、「あなたの病名は精神分裂病と聞いています。」と言われて愕然としました。さんざん統合失調症薬を飲んできましたが、同病院の中でも救ってくださる医師に巡り会い、統合失調症薬からうつ病薬のSSRIに替えていただき劇的によくなったのです。ですが、SSRIも躁転を起こして、結局、強制入院で薬を抜かれました。

その後は不眠があるので、夜に飲む薬だけ処方してもらい、今はその薬だけで一人暮らしの生活を維持できています。多剤大量処方の時には副作用のアカシジアに何年も悩まされ、入退院16回の間には隔離室も何回か経験し、この世の中ではもはや怖いものがなくなるほどの経験をしてきました。ですが、今は産後に発生した元の症状の不眠に悩まされています。現在の診断名はうつ病ですが、どうもPTSDの症状が強いと思います。

そんな中でもこつこつと生きており、デイケアの卒業と同時に地域生活を実践し、58歳の年齢から仕事には就いていないものの、パソコンの勉強、習字、病気の理解の勉強などをしてきました。そして何より心の癒しを実践し、多くの芸術に触れて涙を流すだけ流してきました。そして、昨年11月に瀬谷区社会福祉協議会によるボランティアバスにて、東日本大震災の被災地に行って交流及びボランティア活動をしてきました。

また、昨年9月にNHK主催の「統合失調症フォーラム」に参加し、今年6月にコンボ主催の精神医療の「共同意思決定」にも行ってきました。そして、コンボの雑誌に3回書いた記事が掲載されました。ですが、瀬谷区では関係機関につながらず、横浜市こころの健康相談センターに電話した際に横浜市社会福祉協議会を紹介していただき、そちらからの紹介で市精連の大友様宛に、これまでのいきさつを書いて送るようにとのご指導をいただいた次第です。
ぜひ、これまでの経験を活かし、皆さまのお役に立ちたいと願っております。それが私のこれから先の生きていく道であり、回復の道であると思います。

双極性障害の体験記  野間 慎太郎  横浜市在住

平常とか普通と呼ばれる物事。
それが行方不明になって久しい。
双極性障害になってから私はずっと迷子になっている。
元気に過ごしていれば躁転していないか考え、
気持ちが沈んでくるとうつになってしまったのかと考えるようになり、
常に自分を観察するようになった。

良いか悪いかは分からないけれど自分の感情から一歩引いて物事に取り組んでいる。
感情的に動きそうになる私を馬に例えるなら、
冷静な私が手綱を掴んでいる騎手だ。
できる事なら騎手にはご退場願いたいのだけれど中々、難しい。
私が障害者手帳を取得したのは30歳を少し超えたときなので、
それまでは『健常者』として働きながら暮らしていた。

しかし手帳の取得と発症時期は当たり前だけどズレている。
私の場合は発症に気づかず働いていたので、
仕事をするうちに躁転して怒涛の勢いで仕事をして結果が出る頃にエネルギーがすっからかんになり、長いうつを迎える。
これを何度繰り返したか分からない。
『それならほどほどにすれば良いのでは?』
仰るとおり。全くその通り。
しかし、できない。
だから苦しい。

躁転は総じて快感を与えてくれる。
高揚感、万能感、天上天下唯我独尊だ。
人は誰でも気持ちいいことを止められない。
そんなことはないと思う方もいる。
ずっと美味しいものを食べ続けるとか、
ずっと性行為をすることは不可能だ。
それを止めているのは他でもない脳。
満腹になれば食べられなくなるし、
性行為は疲労で継続できなくなる。

肉体の悲鳴を脳が受け取り拒否を促す。
躁転はこの脳機能がショートしているようなものだから肉体の悲鳴を無視してしまう。
無視するだけならともかく煽るのだ。
疲れを感じないし眠気もないから疲れている認識がない。
次から次にアイデアが湧き出し伝えたくなる。
お金を使うことが快感なので朝からパチンコに行き儲けを湯水の如く使う。
ただものすごく遠い所に冷静な自分がいる。

そして限りなく小さな声で叫んでいる。
『誰か止めて』と。
その声が届いたとき、私の預金残高はゼロ。
そして脳も身体も限界を迎えているので酷いうつになってしまった。
双極性障害のうつは総じて酷い。
躁転による万能感を味わっているので喪失感が凄まじく、更に躁転の際に周りに甚大な迷惑をかけていることもあり、後悔の念に苛まれる。
もちろん死にたくなる。
でもその気力すらない。

そんな時、周りの人は口を揃えてこう言う。
『ゆっくり休んでまた元気になろう』
元気?元気って何?元気になったらまた迷惑をかけるだけだ。
自己肯定感が皆無なので優しい言葉でさえも棘になる。
例えば街で誰かが誰かを殺めたニュースを見て私が思ったことは
『どうせなら俺を刺してくれりゃいいのに』
ということだった。

他力本願な希死念慮である。
まして動機が『誰でも良かった』と聞くとなおさらだった。
ただそれでも生きる方向を向いていられたのは妻がいてくれたからに他ならない。
文句も言わずに支え寄り添ってくれた。
私にとっては何よりのストレングスであり、
リカバリーの軸になっている。
妻のために何とかしようと。
そして何とかなって今に至る。

もちろん順調ではなく小規模なうつは何度も起こしている。
その事には備えだけしておいて抗わないことにしている。
抗うことも時には必要だけれど敵わなかった時はリスクを伴うからだ。
私はとにかく躁転しないように意識を持っている。躁転すれば必然的に酷いうつになり社会生活が困難になる。
結果として私は迷子。
でもこの生き方、最近は宮本武蔵みたいでいいなと楽しんでます。